本日のタイムセール

2016年6月27日月曜日

NNNドキュメント「汚名 ~放射線を浴びたX年後~」語り 樹木希林

【見どころ】
これは、遠い時代・遠い場所の話ではない。知られることのない、X年後の物語である。

   放射線を浴びたX年後

「放射線を浴びたX年後」シリーズ第4弾は「父の死の真相」を追い求める1人の女性をクローズアップした。
漁師だった父が早死にしたのは?酒の飲みすぎだとばかり思っていた。しかし、映画「X年後」を観て、考え方は一変した。
「父の死と核実験は因果関係があるかもしれない」女性は、真実を確かめるため、遺族や乗組員を訪ね歩いた。そこで見た現実とは?

【内容】
これは、遠い時代・遠い場所の話しではない。知られることのない、私たち自身の物語である。
アメリカは、広島・長崎へ原爆を投下したわずか10か月後、太平洋のマグロ漁場でむき出しの核兵器爆破実験を開始。
1962年まで17年間にわたる実験で、たくさんの船が被ばくし、日本列島に激しい放射能の雨が降り続け、爆心地近海でとれた魚が水揚げされ続けたことを、私たちはほとんど知らない。
「放射線を浴びたX年後」NNNドキュメンタリー第4弾の本作は、「父の死の真相」をめぐる1人の女性の物語である。マグロ漁師だった父はなぜ36歳の若さで死んだのか?てっきり酒の飲み過ぎだと思っていた。
しかし、「放射線を浴びたX年後」を視聴して考え方は一変した。
「父の死に核実験が関係していたのかも知れない―」2015年、女性は、事実を確かめるため、父と同じ海にいた乗組員や遺族およそ70人を訪ねた。
そして、今年、事実を確信した女性は、生存者・遺族の補償を求める動きへと変わっていった。

2015年1月2日、高知県室戸市の港町に一人の女性の姿があった。
女性は一軒の玄関先から大きな声をかける。「こんにちは、おんちゃん、おる?。
正月早々ごめんね〜美砂やけど?」「お?、待ってよ?」奥の方から70代後半の男性が姿をあらわした。
女性の名は川口美砂さん(60)室戸市で生まれ育った。
20代で上京、現在は東京で暮らしている。川口さんは、「X年後」との出会いをきっかけに36歳で亡くなった父の死の真相を知りたいと、かつて父と同じ海で働いた乗組員たちから聞き取りを始めた。
太平洋のマグロ漁場で核兵器の爆破実験が始まった7年後の1952年、漁業の規制線が解除され、何も知らない日本の多くのマグロ漁船が、中部太平洋のマグロの漁場、つまり放射能で激しく汚染した爆心地近海で操業を始めた。
それから2年、1954年3月、マグロ漁船の1隻、第五福竜丸の被ばくが、偶然スクープされ、日本中が大騒ぎになった。
政府は、直ちに放射能検査を指示。

全国の港で放射能検査が始まる。その年、検査を受けた船は、延べ2729隻。
そのうち、人体もしくは衣服もしくは船体もしくは魚が被ばくした船は、延べ992隻にのぼった。しかし、政府は、安全だとし、わずか10か月間で検査を打ち切った。
その中の1隻に、川口美砂さんの父、川口一明さんが乗る船があった。
一明さんは、36歳で突然死する。布団の中で亡くなっていた。
近所では「酒の飲み過ぎだ」と囁かれ、川口さんもそう思い込んでいたという。
父の死から43年。お盆で里帰りしていた川口さんは、偶然、ある映画に出会う。
室戸市内で上映されていた「放射線を浴びたX年後」だった。
室戸のマグロ船が被ばくし、多くの乗組員が亡くなっている事を初めて知った川口さんは、父と同じ海で働いていた仲間や遺族を探し始めた。
これまで聞き取った証言は、およそ80人分。ほとんど死んだと思われていた乗組員の存在が少しずつ明らかになっていった。
地元で生まれ育った川口さんだからと口を開いたお年寄りも多い。
厳しい箝口令、奇妙な目撃証言、そして一明さんについての記憶。
聞き取りを続ける2015年6月、川口さんは、自宅の押入れから、無くなったと思われていた一明さんの船員手帳とたくさんの日記が見つかる。
船員手帳があれば、唯一検査が行われた昭和29年にどの船に乗っていたか公的に裏付けられる。

手帳によって船を特定した川口さんは、厚生労働省に文書の開示を求め、そのことで一明さんの乗った船が、放射能汚染魚をとり廃棄を命じられたことが確認された。
2016年、川口さんは、乗組員や遺族の船員保険の適用申請、つまり事実上の労災認定を求め、全国健康保険協会船員保険部に申請手続きを始めた。
第五福竜丸乗組員の船員保険適用を認めさせた静岡県の医師、聞間元さんのアドバイスがあったからだ。操業中、被ばくしたことでガンなどを発症したことが裏付けられれば、船員保険の適用が認められることになる。

川口さん自身は、遺族の場合、亡くなって5年という壁があり、船員保険適用の申請はできない。
しかし、乗組員たちの労災認定申請をお手伝いすることが父親の汚名を晴らすことになると信じ行動を始めた。申請書類を提出するだけの簡単な手続きだが、これまで口を閉ざしてきた乗組員にとって、行動に移すことに抵抗は大きい、また、「今更どうする」と諦めの声もある。
しかし、川口さんは、諦めることなく、一軒一軒を訪ね、一人一人に声をかけ続けている。
*5月10日から船員保険適用について、乗組員、遺族への声かけの様子を取材。
*5月28日から聞間医師の室戸入りを取材(乗組員への説明)
*船員保険の適用申請は、おそらく1名(大西圭吾さん)の申請手続きまでを収録。申請の結果は、1、2年後とも言われています。

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