70年前、原爆投下で壊滅したヒロシマの街に奇跡が起きた。
被爆からわずか3日後、一台の路面電車が焦土を走ったのだ。
人々は復興への希望を込めて一番電車と呼んだ…
ヒロシマに一番電車が走った
昭和20年、広島では戦地に赴いた男性に代わり、少女たちが路面電車を運転していた。雨田豊子は16歳、電鉄会社の家政女学校で学びながら乗務していた。
前年、軍需省から引き抜かれた電気課長の松浦明孝44歳は、上司と部下の間での板挟みに悩んでいた。
8月6日、広島に原爆が投下。二人は生き残ったが、路 面電車は壊滅状態に。
会社は本土決戦の物資運搬に備え、復旧を訴えた。
大惨事の中、心の葛藤を抱えながら、二人は…。
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